2022年2月6日礼拝「現在(クロノス)を支える時(カイロス)」

マルコによる福音書13 章32-37 節

その日、その時は、だれも知らない。・・・父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。(マルコ13:32)

2 月11 日の「建国記念の日」を、私たちキリスト者はあえて「信教の自由を守る日」と言い表して過ごしています。「建国記念の日」は、1873 年に明治政府が、神話上の人物であり天照大神の子孫であるとされる神武天皇の即位日を「紀元節」として定めたことに由来しています。「紀元節」は、戦時中には「戦意高揚」と「臣民意識の統合」のために、大日本帝国政府によって大いに利用されました。自らの国を「神の国」と自称する思想は、他国を侮り、攻撃や侵略の対象としていく「侵略」や「戦争」と結びつきやすいものです。ですから、私たちキリスト者は、宗教的な観点からも、また先の戦争への悔い改めの観点からも、旧「紀元節」を日本の「建国記念の日」とすることに反対し、あえて「信教の自由を守る日」と呼んで過ごしているのです。
さて、先週2 月1 日、ミャンマーで引き起こされた国軍によるクーデター事件から1年を迎えました。当初、あのような理の通らない暴虐は、国際社会から容認はされず、またミャンマー国内の抵抗を受けて、早晩挫折すると考えていました。しかし、今なおミンアウンフライン率いる国軍の暴力的君臨は続き、ミャンマー国内はズタズタにされたままです。1,300 人以上の人々が殺害され、5,000 人以上の人々が拘束されています。また町や村を焼かれた人々110 万人が山奥に逃れてキャンプ生活を続けています。アウン・サン・スーチーさんたちが、長い年月をかけて積み上げてきた「民主化」への道が、その最終段階で暴力的に破壊され、歴史を何十年も元に戻してしまったのでした。
しかし、今なお、ミャンマーの民衆たちは民主化への道を諦めることなく、非暴力での抵抗運動を続けています。今回の事件を通して、私たちはミャンマー民衆のCDM 運動にたいへん多くのことを学ばされています。それは民衆たちの「不服従」という生き方でした。従えないものに服従しない。暴力を用いて反撃はしないが、しかし服従もしないという、信念や良心、信仰の自由に根差し、それを貫こうとする生き方です。やがて必ず、ミャンマーが「民主化」される日が訪れます。その日その時、その「民主主義」の内実をつくるのはまさしく「民衆」です。いま「不服従」を生き抜いている民衆たちこそが、未来の民主主義の担い手たちとなります。ですから、私たちが、今、ミャンマー民衆を支え、ミャンマー民衆と繋がり続けることは、未来の「その日」に向けられており、未来の「その日」に支えられているのです。【吉髙叶】

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