2021年7月25日礼拝「祈りの中で」

ヤコブの手紙 5章13節

あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。(ヤコブの手紙 5章13節)

毎週金曜日の夜9時から、「ミャンマーを覚える祈り会」が持たれています。2月1日の国軍によるクーデター事件が起こって以来、いてもたってもいられない人々がSNSなどでこの「祈り会」の情報をキャッチし、毎回80名~100名の方々が参加しています。その祈り会も一昨日24回を数えました。残念ながら長引いています。7月16日の祈祷会の中で、西南学院神学部の須藤伊知郎氏と在日ミャンマー人牧師のマキンサンサン・アウンさんの対談が行われましたが、その対話の中から「祈りについてのやりとり」の部分を抜き出して紹介させていただきます。

  • 須藤「今日、祈り会にたくさんの方が出席してくださっていますが、マキンサンサンさんからみなさんに何かございますか?」
  • マキンサンサン「この祈り会は始めたときに『すぐ終わる』と思ってましが、こんなに長くなりました。私を育ててくれた(神学校の)先生たちがこれを始めてくだったんですけれど(涙)、これ(祈祷会)があって耐えられているというのが事実です。皆さんが共に痛みながら祈ってくださることが励ましにもなったり(涙)、仲間がいるということをすごく感じることができます。祈り会に参加してくださっている皆さまにはすごく感謝しています。私も落ち込んで壁にぶつかったときに祈ることしかできなかったし、祈っても前がまったく見えない時だったんですが、十年後、二十年後にはこのように用いられている(牧師という立場からミャンマーの人々を支援すること)ので、このこと(祈り会)が必ず世界にとっての良い証となることを期待して信じていきたいと思います。ですから、ぜひミャンマーのことが終わるまで皆さんが祈ってくださることを願いたいです。皆さんには感謝の言葉しかありません。」 ―以上、引用―

本国にいる肉親や友人たちが、悪夢のような暴力と投獄、食糧不足、そして新コロナの感染拡大によって生命の危機に晒されている在日ミャンマー人たち。マキンサンサン氏も同様で、耐えきれず眠れない日々を過ごしてこられました。しかし彼女は仰います。「これがあって耐えられている」と。私たちには、「祈る言葉が出てこない」「祈る気力もない」、そういう時が確かにあります。それでいいと思います。ただ、「祈り」とは自分の中から出てくるもの、というだけではなく、「祈り」という場や力の中に自分が囲まれ、祈りの中で苦しみ、祈りの中で痛むことができる、というものでもあるのです。【吉髙 叶】

 

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