2021年10月3日礼拝「啓示の遠近(パースペクティブ)」

詩編19編 1-15節

天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。(詩19:1)
知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうかわたしを清めてください。(詩19:13)

「日々草」 星野富弘
今日も一つ悲しいことがあった
今日もまた一つうれしいことがあった
笑ったり泣いたり
望んだりあきらめたり
にくんだり愛したり
そしてこれらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった

「平凡」を意識することはあまりありません。いちいち意識していないからこそ「平凡」なのです。しかし、星野さんが詩うように数え切れないほどの平凡なものに包まれて、私たちの「突出したもの」が起こっています。私たちがなんらかの「突出」に直面し、ある時は喜び踊り、ある時は悲しみ伏せることがあったとしても、なおもびくともせずに変わっていないようなものや、そのいずれの「突出」にも寄り添い続けているよ
うなものが、私たちにはあるのです。数え切れないほどに。
詩編19 編の詩には、パースペクティブ(遠と近)があります。天体の軌道が寸分違わず永遠の法則のように廻っている「偉大な平凡」の背後に神の業・神の想いを見ています。他方、日々の誘惑にさらされ、心の中に湧き出る感情の浮き沈みに左右され、「過ち」に陥りがちな人間(自分自身)の「今日の事実」をも見ています。
神は、わたしの日々がたとえどうであろうと関係が無いかのように自然界の秩序や法則を定めてくださると共に、わたしの揺れ動く日々に寄り添い、この魂を生き返らせ、心に喜びを、目に光りを与えてくださろうと、「いましめ」をもって語りかけておられます。悲しみを慰められ、過ちをただされ、赦され、また立ち上がろうとする今日のわたしに、また陽は昇るのです。【吉髙叶】

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