枯れた骨よ、主の言葉を聞け。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。
(エゼキエル37:4-5)
今年も76 年前の「沖縄戦」を憶え、心に刻む季節がめぐってきました。組織的な戦闘が終結した6月23日を、沖縄では「沖縄慰霊の日」として県民がこぞって祈念します。
私たちキリスト者は「慰霊の日」とは呼ばずに、「命どぅ宝の日」(命こそが何よりも大切にされねばならないことを肝に銘じる日)として憶えて祈りを捧げる日としています。
沖縄戦研究者の安仁屋政昭氏は、沖縄戦について次のように記しています。
<「日本の敗戦は必至」という認識のもとに戦われた沖縄戦は日米最後の地上戦であった。沖縄県民にとっては、戦後史の「苦悩と屈辱の原点」となった。10万人余の沖縄守備軍の任務は、県民の生命財産を守ることではなく、出血消耗によって米軍の「本土」進攻をくいとめて持久戦に耐えぬくことであった。天皇制を護ること(国体護持)が第一義であり、そのためには、「本土」決戦準備・終戦交渉の時間を稼ぐことが必要だった。沖縄守備軍は沖縄県に対して「軍民共生共死の一体化」を指示、「一本一草トイヘドモ之ヲ戦力化スベシ」といって、老幼婦女子にいたるまで戦場動員した。>(琉球新報2005年4月1日「沖縄戦新聞」より)
沖縄戦は壮絶な戦争でした。「鉄の暴風」と呼ばれる艦砲射撃。地獄のような地上戦。
そして、日本兵たちから沖縄県民が強いられた「集団自決」。筆舌に尽くしがたい惨劇が引き起こされました。それほどの悲劇が可能となったのは、沖縄(琉球人)を利用・処分することを厭わなかった「本土」日本による冷徹な沖縄(琉球)差別があります。
戦争中においては、本土決戦を遅らせるための「捨て石」とし、戦後においては「本土」の安全保障を確保するための「捨て石」として沖縄を米軍に「献上」しました。その取り引き(サンフランシスコ講和条約)によって日本「本土」は独立を獲得します。沖縄が1972 年に「本土復帰」した後も、「基地の島」としての「押しつけ利用」は変わることなく、現在、辺野古に米軍の永久的な基地建設が進められています。
「捨て石」とされた沖縄南部(激戦地)の土からは、今なお「遺骨」が出てきます。その土を掬い、運んで、辺野古の海を埋め立てているのです。死者・戦没者さえ利用し、再び「捨て石」にしようとする。命と死への畏敬無き傲慢な姿です。
これらの「枯れた骨」に肉をかぶせ結び合わせるようにして平和を祈る。「命どぅ宝」を噛みしめながら、また「沖縄の平和(シャローム)こそが、日本の平和(シャローム)の原点となるべきだ」と明確に心に定めて、私たちは祈りたいと思います。【吉高叶】