ルカ福音書2 章8-14 節
いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。(ルカ2:14)
ちょうど10 年前の2012 年11 月から、毎月一度、沖縄辺野古の新基地建設に反対する想いを込めて首相官邸前でゴスペル(賛美歌)を歌う会を続けています。官邸前では、季節に限らず、春でも、夏でもクリスマスの賛美歌を歌います。道を行き交う人々がぎょっとなさいますが、「もろびとごぞりて」や「荒野の果てに」を朗々と歌います。誰もがクリスマスはイエス・キリストの降誕を祝う日であり、それは12 月25 日と考えますよね。でも、クリスマスは、神がこの地上に平和を宣言された事件のことなのです。ルカによる福音書は、イエス誕生の知らせが、野原で野宿をしていた羊飼いに告げられる場面を描きます。突然、夜空に天使の大軍があらわれて、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と賛美を轟かせたというのです。「地に平和があるように!」「地の平和のために!」神のその想いは、暗闇の中に宣言され、そして家畜小屋の飼い葉桶に寝かされる赤子の姿となって、この地上に宿らされたのです。飼い葉桶というのは、人間の世界の中でもっとも周辺の場所(隅っこ・端っこ)を象徴しています。もちろん中央・中心はローマ皇帝アウグストゥスの宮殿です。勅令ひとつで世界中の殖民地の民衆を人口登録のために移動させることのできる力を持つ権力者。その力で「ローマの平和(バックスロマーナ)」を誇っていたような時代です。でも、実際に生きていた人々はちっとも平和ではなかったと思います。
クリスマスの出来事は、そんな人間の世の「偽りの平和」の闇を引き裂き、「地には平和!」と宣言された日なのです。その徴(しるし)こそが、最も隅っこに生まれた一人の小さな命、イエスだったのです。神が「地に平和」をもたらすために動き出されたのは、ベツレヘムの家畜小屋からでした。神が平和を見つめるところ、それは隅っこであり、神が平和を始められるところ、それは端っこからです。この世に生きる人間を愛し、その命の場(地上)に平和をもたらすために、高いところに鎮座したまま、地を見おろして業をなさるような神ではなく、自らが地上に降り、隅っこを見つめられ、端っこを生きられたというのです。こうした神のまなざしの低さを「平和の視座」として理解し、私たちの「平和の視点」としたいと思います。つまり平和をつくりだすために大切なものは、小さな人々の困窮や痛みを感じる共感力や想像力なのだと思います。【吉髙叶】