使徒言行録17 章16-25 節
あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。(使徒17:23-24)
初代教会は、イエスの復活に直面した人々によってつくられていきました。その初代教会のメンバーたちの中でひときわ異彩を放った人物がパウロという人です。イエスの宣教は、イスラエルが信じる神(ヤハウェ)の「真の想い」を宣べ伝えるものでしたし、イエス自身の行動範囲は、生涯を通して「イスラエル地域」を出るものではありませんでした。しかし、パウロは、イエスの十字架と復活の出来事は全世界の人々に宣べ伝えられるものだと確信し、ユダヤ人とか異邦人とか、自由人とか奴隷とかの「枠」を超えて伝道に挑んでいった人です。そのため、彼は三度に亘って伝道旅行(アジア地方=現在のトルコからギリシャ地方に及ぶ)を実施しました。その足取りは新約聖書の使徒言行録に記されています。これからしばらく使徒言行録を読みますが、本日の17 章は、パウロが第二回伝道旅行の途上で、ギリシャのアテネに立ち寄ったときのエピソードです。
アテネは古代世界の中で最も文化的な都市でした。人々が往来し、商業も異文化交流も盛んで、また生活水準も知的関心も高い「世俗都市」でした。街の広場(アゴラ)のあちらこちらで哲学を論じ合い、また諸国のあらゆる宗教とその世界観や価値観が紹介され、それらを比較検討しながら盛んに善悪のことや、人生論・幸福論をたたかわせていました。当時の格言で、「すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしている」と言われていたほどです。街の中に、ありとあらゆる神々の像を建立し、それら全てに通じていることを誇りとしていたのでした。ご丁寧にも「まだ知らない神々のため」の祭壇まで建てて、「ここには全ての知と善が揃っている」と買いかぶっていたのでした。言うならば、知的・文化的飽和状態の中にありました。パウロは、そうしたアテネの様子、特に「神々の像」を広場に並べて、それらを材料に議論を楽しんでいる様子に憤慨したのでした。えも知れぬ悲しみを感じ、滾るような思いが湧いてきたのだと思います。神々を祀りながら、その実、神々の上に君臨する「人間讃美」の傲慢に怒りがこみあげてきたのでしょう。
パウロは「まだ知らない神々のために」と石碑に彫られた言葉を逆手に取って、自分が信じ依り頼んでいる神、万物を創造し、イエスを私たちに送り、そして死の中から復活させた神を証ししたのです。しかし、アテネの人々はそんなパウロをあざ笑い、歯牙にもかけずにあしらったのでした。「アテネの知」は、そんな知性でした。【吉髙叶】