2023年7月23日礼拝「息交わす土たち」

創世記2 章18 ~ 25 節

主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創2:18)

わたしたちは、いま『創世記』の「原初史」を丁寧に読んでいます。2 章(4 節後半~)の「ヤハウィスト資料」が描く人間の創造物語、そこには人間の本質とは「息する土」であると端的に記されています。「息」とは理性、欲望、感情、心情など人間らしいあらゆる「心の動き」を包摂するものです。肉体そのものは実にもろく、はかなく、まさしく土塊にすぎない存在でありながら、かくも豊かに「息」をしながら人間は生きている。それゆえ嬉しく、またそれゆえ苦しいのが「息する土」だ。そこで問おうではないか、その「息」のそもそもの出所はどこで、いったい誰なのか。それこそが神なのだ。神の祝福、期待、関係への招きが存分に吹きかけられて、土塊は「生きるもの」となっているのだ。とてもシンプルな表現ですが、よく言い抜かれていると思います。
続いてヤハウィストは、「他者と息を交わし合う土たち」としてのもう一つの人間の本質を描いていきます。独りでいるのは良くない(ふさわしくない)存在としての人間。神は、ご自身と人間とがそうであるように、誰かと息を交わしてしか「生きるもの」ではあれない存在として人間を改めて再創造されます。そこで、一つの「息する土」から異なりを持つ「向き合う互い」を創造されました。それがイシューとイシャーでした。同様・同等の本質を有しながらも決してコピーやクローンではなく、異なりを備えられていて、その上で、互いに向かい合う(息を交わし合う)「土塊どうし」、すなわち「息交わす土たち」として人は人と共に生かされたのです。「さあ、はじめて欲しい。わが創造の業を喜び楽しみ、豊かに広げつないでいく生命の営みを」。それが神の願いでした。
この「異なりを持つ土と土の息の交流の物語」が、後の歴史の中で、「人は男と女とだけにつくられた物語」や「男が女より勝っている物語」や「結婚は人の基本形との物語」や「しかも男は女と、女は男と結婚し」「新しい家族(家庭)をつくり、子をもうけて育てる物語」として意図的に解釈されてきました。それらは「生き方の一つのモデル」ではありますが、「原初史」は決してその「単一モデル」のために記されたのではありません。むしろ逆で、多様で多彩な在り方の肯定・祝福です。自己存在の「自認」や生き方の選び取りには、様々な姿があるけれども、そのすべては神の祝福のもとにあるということと、「異なりを持つ土と土が息を交わして生きる時にこそ『創造の業』は人間にも託され、継承されていくのだ」ということこそが、「原初史」には記されているのです。(吉髙叶)

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