2023年8月13日平和祈念礼拝「平和のしるし」

創世記4 章13-16 節/ ルカ福音書2 章11-14 節

あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカ2:12)

きょうだいアベルを殺してしまうカインの物語。聖書が描く「人類最初の死」が、他者を殺してしまう(殺されてしまう)死であるとは、あまりにも衝撃的です。しかし、そこには人間世界の対立や苦悩の実相の中から導き出された「人間の本性」への洞察が込められているのです。「人間はだれもが一人のカインなのだ。神から離れ、自己に絶望し、絶望しながらも己(おのれ)に執着し、他者を憎み、他者を殺し、結果として彷徨(さまよ)い続ける。」こうした悲劇的なカインの姿に「人間の罪性と不安」を見ていくのです。それにしても、人間はそのように殺し・殺される「生と死」に総括(そうかつ)されてしまうしかないのでしょうか。

物語は、そこに一筋の光を灯しています。神は、神の元を離れ、さすらいの道に進んでいくカインに対して、彼が他者によって殺されてしまうことがないように守られるのです。神はそのような生と死のために人を創造したのではないのです。神は人と人との憎しみの連鎖関係を断ち切りたいと願っているのです。神は、あくまでもカインを憐れみ、その生きる道を守ろうとなさるのです。そのため神はカインに「しるしを付けられた」と記されています(4:15)。それがどのような「しるし」であるのかはまったくわかりません。けれども、その時の神の御心(みこころ)と、この物語が形成されてからおよそ1200 年後に起こったクリスマスの出来事とを重ね合わせて理解することへと、今日、わたしたちは導かれるのです。

「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカ2:12)

神は、「憎しみと暴力の連鎖を断つしるし」「平和のしるし」として、この世に御子(みこ)イエスを置かれました。しるしの姿は「乳飲み子」でした。またベツレヘムの「飼い葉桶」これも「平和のしるし」の舞台として大切なしるしの一部ですし、目撃者の「羊飼いたち」もしるしの素敵な要素です。「隅っこ」や「端っこ」を連想させる場所や人物が「平和のしるし」を構成しているのです。なぜ神は、「平和のしるし」を「中央」や「中心」(たとえばローマやエルサレム)に置かなかったのでしょうか。どうして神は、「平和のしるし」を乳飲み子の姿となさったのでしょうか。それは、神ご自身が、平和は「上から」「中央から」はつくれないことを知っておられたからでした。神ご自身が、平和は「強い力」では生み出せないことを知っておられたからでした。吉髙叶

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