2023年11月26日教会組織60年感謝礼拝「萌芽-悲しみの中に芽生える希望-」

イザヤ書43 章19 節

見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。(イザ43:19)

【市川八幡キリスト教会60 年の歩みを概観する・その2】
1970 年ごろからの9 年間、市川教会は「閉鎖状態」でした。牧師もいつ頃からか行方不明となり、まるで市川伝道は空しく終わったかのように思われました。しかし、市川教会の命は途絶えてはいませんでした。近隣教会の祈りの中に、その命の火種は生きていたのです。1979 年に連盟や近隣教会の祈りと支援をいただいて、この教会は再び歩み始めました。連盟は金子純雄常務理事を当教会の臨時牧師として派遣し、新小岩教会は23人のメンバーを市川教会に送籍派遣してくださったのです。「教会組織60 年」とはいえ、今日の市川八幡教会の実質的な歩みは、1979 年の再興からの44 年だとも言えなくはありません。でもやっぱり60 年なのです。市川での教会づくりと伝道の命の火は、近隣教会との繋がりの中で燃えていたのですから。
再興がゆるされてからの市川教会の歩みは、新しいチャレンジに満ちていました。新卒で赴任した原口徹牧師のもとで、早速「按手礼問題」に取り組み、バプテスト教会の教職制の理解を明確にし、「会衆主義」に立つバプテスト教会の姿を鮮明にしたのです。また市川市大野に伝道所を開設していきました。市川市での伝道を他のもう一つの教会との協働によって携わっていこうと考えたのです。教会が立っている「八幡」という地域性も大切にし、「市川八幡キリスト教会」と名称を変更しました。そして1995 年には新会堂建築へと踏み出し、地域の中で生きる堅固な拠点を据え直しました。
副田一朗牧師の着任と共に1996 年には「主の晩餐式」の配餐方法を変更し、礼拝出席者の誰もが配餐に与れる「オープンコミュニオン方式」を採りました。またホームレス支援市川ガンバの会の活動を始めました。「教会のかたち・救いの意味合い・地域社会へのアプローチ」を果敢に問いながら歩んで来たのです。2007 年には「裂かれたカーテン~隔ての壁を除く群れへ」との教会主題を掲げ、2010 年に主の晩餐式の式文・交読文を作成して「贖罪論」のみの「主の晩餐」ではなく「共食(共に生きる)」ことへの基礎付けとしての主の晩餐式理解を明らかにしました。さらに教会員全員での学びと協議を重ねて、2013 年には「神の創造、キリストの救い、聖霊の働き」という「三一論」を基本構造とした斬新なスタイルの「信仰告白」を唱える教会として今日に至っています。
2020 年から始まった「コロナ危機」の中にあっても礼拝堂のフローリング化を実現し、「礼拝の場」「集いの場」を整えつつ「これから」を仰ぎ見ている私たちです。吉髙叶

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