創世記9 章18-29 節
箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父である。(創9:18)
あらためられた世界に降り立ったノアたち。神の約束の虹のもと、新しく生きていく世界に踏み出していきます(9 章1-17 節・P 資料)。ところが続く18 節から(J 資料)は、ノアと3人のこどもたちの間に起こった出来事を通して、後々の民族間の確執(かくしつ)を予告する記事に進むのです。10 章からは再びP 資料による系図が書かれますから、「箱舟からの解放→虹の約束→民族の広がりの系図」というふうにP 資料だけで流れを作った方が良かったはずです。けれども、「ノアとこどもたち」のJ 資料伝承を削除することもできず、洪水物語の直後に挿入したのでしょう。J 資料は、イスラエルがエジプトを脱出し、カナン(現在のパレスチナ)に侵攻し、その地方を支配した末に南北に分裂していった時代(B.C.1200-900)の諸伝承がまとめられたものです。その時代は、同じ頃に西側(エーゲ海側)からカナンに侵攻してきた宿敵ペリシテ人との戦(いくさ)が絶えること無く、また先住者であるカナンの諸部族との争いが繰り返されていた時代でした。イスラエル(ヘブル人・セムの子孫)とペリシテ人(ヤフェトの子孫)とカナン人(ハムの子孫)、この3 民族の闘争関係の起源がどこにあるか、その原因譚物語として、J 資料では「ノアとこどもたち」のエピソードが(洪水物語の直後に)記されました。つまり、ヘブル人やペリシテ人が、カナン人とその居住地とを奪取・占領することが許されているのは、カナン人の父祖ハムが大父祖ノアに対して不敬・不遜・無礼な態度を取ったからだという理由づけのためなのです。むちゃくちゃな話です。
しかし、このエピソードに限らずカナン侵入以降のヨシュア記や士師記などには「聖戦」(聖なる戦争)や「聖絶(せいぜつ)」(忌むべき者を皆殺しにする)の記事があります。誰もが一読して「ひどい」と感じるはずです。それなのに、「聖書に書かれている物語だから、人間には理解できない神さまの御心(みこころ)があったのだ」とか「聖絶されなければならない尤も(もっとも)な理由がその人たちにあったのだ」と考えるようにしてきたのではないでしょうか。そんな無理な(しかもひどい)読み方を自分に強いるよりも、J 資料であればJ 資料の時代の人々の状況や感覚を反映していて、たとえ“神さまの御心”のように書かれていても、人間の思い込みが多分に含まれているのだということを承知して読んでいく方がずっと良いのです。紀元前900 年頃に、カナン侵略を(「ノアとこどもたち」のエピソードをもって)正当化した(J 資料の時代の)人々も、後の時代にはアッシリアに滅ぼされ離散してしまったのです。つまり、その時代の人々のまだ知らぬその先に思わぬ歴史は続いていくのですから、「神さまの御心」というものを、ある時代の状況だけで誰も断言することはできないのです。吉髙叶