2024年6月23日礼拝「祝福を蒔く~命どぅ宝・豊かな命~」~沖縄「命どぅ宝の日」をおぼえて~

コリントの信徒への手紙二9 章6 節

惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。(二コリント9:6)

本日6 月23 日は、牛島司令官の自決によって沖縄戦が組織的に終結した日です。沖縄では県の条例で「沖縄慰霊の日」と定め、あの戦争の惨劇を心に刻み、戦争犠牲者を追悼し続けています。
明治政府によって近代化を始めた日本は、教育と徴兵によって「国民」をつくりあげ、国内の資本主義を育てると共に、軍備を拡大して近代化が遅れた近隣諸国を侵略していきました。台湾や朝鮮を殖民地とし、さらには中国へも侵略をしかけ、その果てに1941年の対米戦争となっていきます。いわば、日本の長い侵略戦争の時代の最終局面として「沖縄戦」と「ヒロシマ・ナガサキ」は引き起こされていきました。
沖縄戦は、本土決戦の時間稼ぎのために沖縄を捨て石にした作戦でした。本土からの沖縄防衛軍に沖縄島民が共闘を強いられ「玉砕」にかり出されていきます。「生きて捕虜になるべからず」と集団自決(強制集団死)を強いられ、家族同士が殺し合う悲劇をももたらしました。
「命(ぬち)どぅ宝」とは琉球にもともとあった表現ですが、改めてあの沖縄戦の惨劇の中で意味を研(と)がれ、発せられていった言葉です。単に「命は大切」「命あっての物種(ものだね)」ということではありません。ある母親が集団自決の場から子どもを逃がそうとして、「死ぬのはいつでもできる、おまえは逃げなさい、ヌチドゥタカラぞ! 」と叫んだ、そうした想いが民衆の中に語り伝えられていったのでした。「死ね」「誇り高く死ね」「お国のために死ぬ」 このような「死の哲学」が猛火のように人間を舐め尽くそうとする中で生み出された「生の哲学」だということができます。と同時にこの言葉は「死の意義や大義」を打ち立てなければ遂行できない「戦争の根源」を否定する言葉だと言えましょう。
1995 年、沖縄戦50 年の節目に南部・糸満市摩文仁の平和公園に設置された「平和の礎」には戦没したすべての人の名が、敵・見方、軍人・住民、国籍、人種、加害者・被害者を区別することなく刻印されています。「命(ぬち)どぅ宝」とは、命あるすべての人間は、等しく尊ばれ、等しく惜しまれなければならないという思想でもあります。沖縄戦という血のにじむ教訓の末に、人間の命の尊さに頑(がん)として思想の中心を置き、命をもてあそぶ戦争を問い、命(存在)への価値付けが始まることを拒んでいる言葉なのです。吉髙叶

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