2025年5月4日礼拝「『逸脱』に立ち抜く」

ガラテヤの信徒への手紙1 章1-10 節

今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。(ガラ1:10)

『ガラテヤの信徒への手紙』は、使徒パウロが小アジアのガラテヤ地方の諸教会へ宛てて書いた、極めて論争的で熱を帯びた書簡で、かなり激しい語調で書かれています。パウロは自身の宣教旅行によってガラテヤ地方に異邦人(非ユダヤ人)たちの信仰共同体を生み出しました。非ユダヤ人たちは「イエス・キリストを信じる信仰によって、誰もが救われる」というパウロのメッセージを喜び、その教会に加わりました。しかし、パウロがガラテヤ地方を去った後に、ユダヤ主義的なキリスト教指導者たち(これがパウロの「論敵」です)がこの教会を訪れ、「パウロの教えは不完全・不十分だ」と主張し始めたのです。彼らは、イエスをキリストと信じるだけでは不十分で、真の神の民となるためには、アブラハム契約の印である割礼を受け、またモーセの律法(食物規定や安息日規定、ユダヤ教の諸習慣)を守らなければならないと教えたのです。さらに、エルサレムの使徒たちに比べればパウロは二次的な存在であり、使徒としてのパウロの権威は疑わしいとも吹聴したのです。ガラテヤ諸教会のメンバーたちの中には、動揺し不安を抱いて割礼を受ける人々が出はじめたのです。そうした状況を知らされたパウロが、ガラテヤの諸教会を諫めるために書いた書簡が『ガラテヤの信徒への手紙』なのです。
ところで、いったんは「エルサレム使徒会議」で、パウロが異邦人伝道を担当することや、その際、異邦人たちには割礼を強要しないことが合意されていたにもかかわらず、その後、パウロの「論敵」たちのような主張が横行し始めたのは何故でしょうか。それは、当時の皇帝クラウディウスの宗教政策に反応してしまったからだと思われます。ローマ帝国は帝国内植民地を支配するに際して、伝統的・民族的宗教(ユダヤ教もその一つ)の宗教様式に関しては、ある程度容認する寛容政策を取っていました。その方が、支配し易いからです。しかし他方では、容認した宗教の教義・習慣の枠を逸脱する新たな動きについては危険な兆候として徹底的に弾圧しました。クラウディウス帝はその点ではとても厳しい皇帝でした。クリスチャンたちは危険な逸脱者として目をつけられ始めていたのです。そうした中、「逸脱者」とレッテルを貼られるよりも、「ユダヤ教の一部」と受けとめられ、弾圧を逃れることの方が得策と考えるクリスチャンたちも増えていきました。パウロにとって、それはキリストの福音の根幹に関わる問題だったのてす。吉髙叶

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