マルコによる福音書1 章1-15 節
神の子イエス・キリストの福音の初め。(マルコ1:1)
2026 年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
毎年、新年1 月から3 月は『福音書』を読んで過ごしています。2023 年は『ルカによる福音書』、2024 年は『ヨハネによる福音書』、そして昨年2025 年は『マタイによる福音書』でした。そして今年は『マルコによる福音書』となります。「マルコ」「マタイ」「ルカ」の三つの福音書は「共観福音書」と呼ばれます。内容的に似ている部分があり、また異なっている部分がありますから、「共に観ていくとお互いの主張の特徴がとてもよくわかる」のです(「ヨハネ」は独自性がとても強くて「共観」はしにくいです)。これら共観福音書の内、もっとも古いものが「マルコ」です。「マタイ」も「ルカ」も、「マルコ」をベースにし、さらに独自に持っていたイエスにまつわる資料をミックスし、エピソードの順番を入れ替えたり、ナレーションを追記したりして編集しました。ですから「共観」という作業をする時には、「『マタイ』や『ルカ』が、『マルコ』に何を加えたか、どう変えたか」という視点が重要になってきます。そこに、それぞれの信仰共同体が置かれていた時代のテーマや、突き動かされていた「信仰的な促し」があるからです。
「マルコ」は実にシンプルです。「マタイ」のように旧約の時代からの連続・成就性や、「ルカ」のような世界性・普遍性のような関心を見せません。キリスト誕生の物語もなければ、復活のエビソードもありません。イエスによる教育的説教もほとんどみられません。そこに「マルコ」の特徴があります。
紀元70 年頃、ローマ帝国によってエルサレム神殿が破壊された時代。キリスト者への迫害は厳しく、イエスを信じることにかなりの危険を伴った状況の中、「マルコ福音書」は編まれました。「福音・エバンゲリオン」という言葉は、当時、皇帝の軍隊が各地での戦闘に勝利した際に伝令の言葉として放たれていた言葉です。「ローマの勝利と栄光」が鳴り響く中で、マルコは、「福音」を「十字架の苦難」に置き換えました。ローマの「福音」に、十字架に生きる生きざまをぶつけたのです。自分たちの「よき知らせ」の合図はこれだ、と。迫害、失敗、試練、沈黙、十字架・・・。ここにイエスというメシアがいる。
福音とは勝利することでもなければ、安寧を得ることでもない。「あなたは、栄光の場にではなく、十字架においてイエスをメシアと告白できるか。そこにわたしたち独自の『福音』が響いているのだ」。これが『マルコによる福音書』です。吉髙叶