テトスへの手紙1 章1-9 節
神は定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。私たちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。(テト1:3)
ヘボンやブラウンがプロテスタントの宣教師として布教を開始したのが1859 年のことですから、日本本土でのプロテスタント伝道史は約167 年となります。それ以来、今日に至るまで日本のキリスト教会のメンタリティーとして脈々と流れているものがあるとすれば、それは「社会から良き評判を得ていたい」「地域から愛される教会になりたい」ということです。つまり、「この社会での市民権を得る」という引力に、キリスト教の意識は常に引っ張られてきたと思えます。特に日本本土でのキリスト教伝道は、旧士族(元武士)階層の人々に広まりましたから、武士道や儒教といった道徳・倫理などとの親和性を持ち、「模範となる人間像」「社会に貢献する人物像」とクリスチャン像が重なり、それがキリスト者の自意識にもなり、また周囲からの印象となっていったと思われます。
そうした傾向や努力は、一つの文化・文明の中で、いかにして開花するかという懸命な営みでもあり、「宗教史」の要点でもあると思います。と同時に、時代迎合や大衆迎合という、宗教にとって生命線に関わる危険を内包していくことにもなります。明治以来形成されたキリスト教会の弱点が露わになった出来事こそが、朝鮮侵略(韓国併合)から太平洋戦争に至る戦争下における、戦時体制への順応・迎合の現実でした。
『テトスへの手紙』は、2 世紀の初頭に「使徒パウロがクレタ島に残してきた愛弟子テトスに宛てた手紙」という体裁で記された教育的な文書です。1 章では長老や監督(教会の指導者たち)に求められる資質が記されています。「リーダーとしてはとうぜんでしょ」と同感できるものも多いですが、気になるのは「社会的な信頼や評判」を強く意識している点です。クリスチャンは、ローマ帝国世界の中でとかく疎まれがちな存在でしたから、そうした苦労や配慮が多分に求められていたのでしょう。ただし、そもそもイエス・キリストの福音はスキャンダラスなものであり、「十字架の福音」や「弱さ・敗北の中の救い」は、そう簡単に理解されたり、受け入れられたり、ましてや愛されたりするものではありません。もちろん、わざわざ鼻つまみ者やひねくれ者になる必要はありませんが、「敬神愛人」(神を敬い人を愛する)の言葉にあるように、教会は、神の国と義を求めつつ、愛を行動の原理としていく態度を大切にしていく中で、「その時代・その社会」の中で何を語り、どう生きていくのかを探ね続けているべきでしょう。吉髙叶