サムエル記上1 章1-20 節
祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。(サム1:16)
『サムエル記』は、カナン入植後「12 の部族連合」としてそれぞれ歩んでいたイスラエルが、一人の王を頂く「統一王国」となっていった時代を描いています。その王制への移行期にイスラエルに寄り添い、立ち会った預言者がサムエルです。そしてサムエル記1 章は、そのサムエル誕生の物語から始まります。母ハンナの物語です。
ハンナは子どもを授かれず苦しんで来た女性です。夫のもう一人の妻には何人もの子どもがいて、常に当てつけられたり嫌がらせを受けたりの日々に、ハンナはすっかりまいってしまい、気鬱の病を患ってしまいました。特に、年に一度、家族全員で聖地シロに巡礼旅行に出かける時は、旅と祭りの楽しさに浮かれる家族たちの中、一人だけ取り残され、惨めさと寂しさに耐えきれなくなるのでした。ハンナは叫ぶようにして神に祈ります。「このはしためを顧みてください」と。「もし、男の子を授かったならば、自分はその子を一生ナジル人(神に献身した者)として捧げます」と。必死に懸命に祈り続けている彼女を祭司エリが見つけ、彼女に慰めと祝福の言葉をかけます。励ましを胸に帰宅したハンナに、まもなく男の子が授かるという経緯をサムエル記1 章は記すのです。
『サムエル記』は最終的にはバビロニア捕囚期に編纂されましたから、当然、その歴史観には「神の民は何故に滅んでしまったのか」という視点があります。「人間が頼むべきものは力でも富でもない。神は心を低く生きる人間、神をより頼む人間をこそ顧み祝福してくださるのだ」という主題が根底に流れています。それゆえに『サムエル記』の冒頭に「名も無い、低められた女性、しかし神に寄りすがる女性を神は顧み用いられた」というハンナの懐妊物語を置き、「神学的プロローグ(序章)」としたのです。
とはいえ、こうした類いの話を聖書に見い出す度に、どうしてもモヤモヤが伴います。なぜ「子が授からない」ということを、女性はこんなに苦しまねばならないのか。望まれているのは、やはり「男の子」なのか。人々が楽しく集い、家族の幸せを感謝し、和んでいる「礼拝」や「祭り」の場面でこそ、もっとも辛い思いをし、寂しさを募らせている人がいるのではないのか、と。「祈り」「願い」「恵み」「礼拝」「感謝」・・・そうした信仰的営みの中に、すでに人間的な様々な価値が織り込まれています。それらを丁寧に問い直しながら、共に祈ったり、恵みを理解したり、礼拝したり、感謝したりすることのできる仲間に、私たちはなれるでしょうか。吉高叶