2022年7月24日礼拝「イエスに視座を」

エフェソの信徒への手紙4 章17-24 節

(あなたがたは)キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。(エフェソ4:21)

「17もうあなたたちは、世俗の民のように歩むことはしないでください。彼らは自分の視座にたよる空しい歩み方をしています。18その判断はあいまいで、彼らは神のいのちと無縁のままです。現実を無視したがる内なる傾き、心の頑なさのせいです。19彼らは人の痛みに敏感であろうとせず、自分勝手で、貪欲にまかせてあらゆる不純な駆け引きに没頭しています。」本田哲朗訳『パウロの書簡』エフェソの人々への手紙4:17-19

ローマ・カトリックのバチカン聖書研所の研究員という地位を投げ捨てて、大阪・釜ヶ崎に住み込み、日雇い労働をしながら司牧を続けてこられた本田哲朗神父の訳した聖書で「エフェソの信徒への手紙」を読むと、今日の世界・社会を動かしている「力」の身勝手さやあいまいさ、頑なさや乱暴さがありありと映し出されてきます。
いま、政治と宗教の癒着の話題で持ちきりです。わたしたち「バプテスト派」は、17世紀初頭の「教会と国家」が一体化した世界にあって、その癒着状態の中から飛び出し、人間一人ひとりの自覚的な信仰に基づいて集まり、迫害と弾圧をかいくぐりながら共同体を形成してできたグループです。ですから、国家と宗教の関係については、体質として敏感なものを持ってきました。たとえば、統一教会・国際勝共連合と与党保守層との蜜月の癒着についても1970 年代より批判を続け、統一教会の被害者の脱会や家族支援にもたくさんの牧師たちが関わってきました。とにかく根は深く、闇もまた深いです。けれども統一教会と政治権力の問題ばかりに気を取られてはならないと思います。重大な認識として、宗教と国家間の戦争の関係にも目を向けていなければなりません。たとえば、現在も深刻さを増すロシアによるウクライナ侵攻。「プーチンの戦争」とも呼ばれるこの戦争を、強固に支持し後押ししているのがロシア正教会(キリル総主教)です。
キリル総主教は、プーチンの統治を「奇跡」とたたえて熱烈に信奉し、また彼を常に祝福してきました。今回の事態を受けて、WCC 世界教会協議会よりキリル総主教宛てに「戦争終結のために、モスクワ中央政府に働きかけてくれるように」との書簡を送りましたが、「NATO 軍の増強や同性婚を容認する西欧側のこれまでのロシア圧迫こそが問題である」と反論し、さらに「たロシアとウクライナは『一つの洗礼盤』から生まれた一体の存在である」として、ロシアがウクライナを併合することを正当化しています。「彼らは神のいのちと無縁のままです」というエフェソの言葉が、歴史に刺さってきます。【吉髙叶】

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