創世記50 章15-26 節
神は必ずあなたたちを顧みてくださいます。(創50:25)
去る9 月20 日~ 22 日にかけて、韓国ソウルにて開催された「韓国NCC 設立100 年・国際会議と祝賀礼拝」に出席してきました。世界各国のキリスト教界代表者(約100 名)と、韓国キリスト教界の表者(約100 名)とが、一堂に会して「東アジアの平和を構築するためのキリスト者の連帯と働き」について話し合いました。
100 年前と言えばまさしく日本の植民地支配の時代、日本語・日本名・神社参拝を強制された迫害の時代です。韓国NCC はそのような過酷な時代に、キリスト信仰を貫く連帯の帯をつくるべく結成されました。やがて朝鮮半島は南北に分断され、キリスト者も南北に散らされていきますが、祖国の平和的統一を主要な祈りにして、「両国」キリスト者の繋がりを模索し続けてきました。朴正熙(パクチヨンヒ)―全斗煥(チヨンドファン)―盧泰愚(ノテウ)大統領時代(軍事独裁政権下)に、韓国NCC(会館)は、韓国民主化闘争を担う拠点となりました。そのため韓国NCCは常に弾圧の対象とされてきましたが、信念を放棄しませんでした。こんにち、南北の分断が一層固定化され、一触即発な戦争状態に直面し、韓国のキリスト者たちは深い危機感を持ちつつ、祈りを深め、また世界のキリスト者の連帯を求めています。「祝賀礼拝」の中での聖歌隊賛美、「この世界のあらゆる悲しみが、わたしの痛みとなる」に、深く心を打たれました。「祈り」とは、他者の悲しみを自分の痛みとしながら、神の約束を見上げ続け、愛に根差し続けるための闘いなのだ、と感じました。ここに紹介します。
この世界のあらゆる悲しみが、わたしの痛みとなる
もっとも低い場所に目を向けるとき、世界の表情が見えてくる
愛は立ち止まらず、疲れることはない
愛の歩みの中で私たちは、また立ちあがる
もっと美しく、もっと輝かしく、もっときよらかに、
手をつないで、共に流れていこう
この世界のあらゆる悲しみが、わたしの痛みとなる
それを受け入れなければ、耐えることはできない
わたしたちは立ち止まることはできないし、また倒れることもない
わたしたちを動かすこの約束を、信じていく
もっと美しく、もっと輝かしく、もっときよらかに、
手をつないで、共に流れていこう