イザヤ書9 章1-6 節
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザ9:1)
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」(9 章5 節)と記されているイザヤの言葉は、7 章で予告された「インマヌエル」と呼ばれる赤子誕生の予告と密接な関係にあります。いずれもユダの人々に、メシア的な指導者の出現を暗示する預言です。けれども、7 章と9 章の間には時間的・経験的な経緯による差異が存在します。
7 章はアラム・イスラエル同盟軍から包囲され動揺しているユダのアハズ王に対し、落ち着いて神を信頼しなさいと呼びかけたタイミングでの預言です。ところが、9 章はその後の経緯を経て、再びイザヤがユダの人々に呼びかけている言葉なのです。9 章1節には「闇の中を歩む民」とか「死の陰の地に住む者」とあります。7 章の預言が為された以降に、イスラエルもユダも悲劇的出来事に直面してしまい、まさしく民が暗闇の中に突き落とされていたからなのです。その一連の出来事は列王記下16 章に記されています。アラムとイスラエル同盟軍から圧迫を受けたユダの王アハズは、イザヤの勧めを受け入れず、アッシリア王ティグラト・ピレセルに助勢を求め、王宮と神殿のあらゆる宝物を貢ぎ物として献上します。B.C.734 年のことです。翌733 年、アッシリアはアラムとイスラエルに攻め上り、アラム王レツィンを殺害し、イスラエルのゼブルン、ガリラヤ地方を制圧します。おびただしい数の戦死者が出たと言われています。同時に、ユダ王国を属国化し、政治・経済・宗教的に徹底した従属を強いていくこととなります。イザヤ書8 章21 節にはその悲劇的状況が次のように記されています。「この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う。地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。」
9 章の預言は、「この暗闇の中に」「この死の陰の地で」語られていった言葉なのです。戦争の空しさ。軍事力に頼った間違い。疲れ果て、後悔はしてももはや取り返しの付かない絶望的な現実。王を恨み神を呪うしかない民。平和のため、安全保障のためという建前のもとに画策される軍事同盟や武装・軍略は、いつの世も結果として民衆を暗闇に突き落としていきます。ですから、イザヤの預言は、単にイスラエルやユダの民への言葉ではなく「歴史への預言」だと思うのです。ただしその預言は、常に警告であるに留まらず、繰り返し希望を語ります。「光の到来」を告げようとしているのです。吉髙叶