2026年8月2日礼拝「勇ましい物語はお好き?」

サムエル記上17 章31-47 節

主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。(サム17:47)

『サムエル記』上17 章は、つとに有名な「ダビデとゴリアト」の一騎打ちのエピソードです。16 章と並んでダビデのデビュー物語です。奇異に感じるのは、サウル王とダビデは16 章で既に出会っているのもかかわらず、17 章では、まるでサウルがこの戦いの最中に初めて少年ダビデと出会ったかのように書かれているところです。まさに、古代にはダビデ伝承がいくつもあり、後の時代になってそれらが編集されたことの証拠です。竪琴を奏でる繊細(せんさい)で芸術的なダビデ像も、義憤(ぎふん)に燃え一騎打ちに進み出る勇敢なダビデ像も、どちらも採用したかったからでしょう。

ダビデ物語は、最終的にはダビデの罪とその没落までを描いていきます。歴史的な視点としては、イスラエル滅亡(バビロニア捕囚)までの「歴代王記」を記していきますから、没落・滅亡の地点から「少年ダビデ」を見据えた時には、人々の前にきらびやかなデビューを飾ったダビデの姿にこそ、「信仰と姿勢のもっとも美しい姿」を託しています。王になる以前の少年ダビデは、名も無い少年だったが、誰よりも純粋でまっすぐだった。しかし、人々からの賞賛を浴び、出世し、王になり、権力を身につけるに従って、次第に高ぶりと傲慢を身に着けるようになっていってしまった、という「人間の人生」全体を見つめた上で、このエピソードが位置づけられているのです。ですから、このエピソードだけを切り取って、「どんなに巨大な敵(障害)が立ちはだかっても、自分がどんなに非力に見えても、神の名によって立ち向かうならば、敵(障害)を倒し、乗り越えることができる」という単純なメッセージにしてしまうのは、短絡的かもしれません。

日本へのプロテスタント伝来以降、明治期・大正期・昭和期と、軍国主義化と戦争、敗戦後は「主戦場」を市場に移した商戦と高度成長期・・・。「戦い、勝利する」「そのために勇敢な精神を醸成する」価値観の中で、この「ダビデとゴリアト」物語は、教会の人々に、また日曜学校に通う子どもたちに大人気の物語でした。時代性でしょうね。17 章のダビデの台詞(せりふ)には、「神はイスラエルの軍神、イスラエルは神の神軍」という言葉が繰り返されます。こうした「神と戦争」「戦いと神」を結合させる理解がなじんだ歴史背景を承知しながらも、現代的な問いとしては、「果たして、そのままの感覚で良いのか」「主イエスは果たしてどうだったか」という観点で読み直してみましょう。吉髙叶

関連記事

PAGE TOP