サムエル記上20 章24-42 節
ダビデは南側から出てきて地にひれ伏し、三度礼をした。彼らは互いに口づけし、共に泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。(サム20:41)
ダビデとヨナタンの切ない友情を描く『サムエル記上』20 章。その物語を「戦い合うことから逃れようと、手を取り合った二人の若者の絆の物語として読んでみましょう。
サウル王は、民衆の人気を得ていくダビデに猛烈な嫉妬心を抱き、強い殺意を抱くようになります。しかし、ダビデはどうしてもサウル王を憎むことはできません。戦いたくはないのです。サウルは近衛兵軍を持っています。ダビデも武将ですから自分の率いる部隊を有しています。ですから、襲われ迎え撃てば、戦(いくさ)になります。ダビデはそれを避けるために、サウルによる殺害の企てをかわし続けています。
サウルの息子ヨナタンは、ダビデを愛していて、父親とダビデが対決することをなんとか回避させようと懸命です。父にダビデのことを必死で執り成しながら、ダビデにもつなぎを取って父親の動向を知らせ、ダビデを守り続けようとします。「戦いたくない、戦わせたくない」。「戦いの回避」のために、二人の若者が結ばれ汗をかき、涙を流しています。しかし、サウルは変わることがありませんでした。ヨナタンはダビデと別れる辛さを忍んで彼を逃がすのです。二人は共に泣き、抱き合いながら別れていきます。
サウルの怯えと戦闘姿勢は、現代的には「核兵器」を頂点とした抑止力防備に例えられるかもしれません。が、もはや抑止力を超えて実戦力に姿を変えようとしています。もし、これによる戦(いくさ)が起こったなら、もう世界は破滅です。そうなってはならない。現代にも「核兵器廃絶のヨナタン」は走り回り、汗をかき、涙を流しています。広島や長崎での「式典」をつくり続ける人々。被爆証言を続ける人々、語り継ごうとする人々がいます。「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」や「被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に連なる人々は、核兵器禁止条約を実現させるため、長年、核保有国と非保有国の間を行き来し、被爆者の声を世界へ届け、粘り強く対話を続けてきました。国家で云えば、New Agenda Coalition に加わるオーストリア、エジプト、アイルランド、メキシコ、南アフリカ、ニュージーランド等の国々も、核保有国の間に立って核兵器禁止条約を推進してきました。もちろん国連(United Nations)も奮闘しています。限界もあります。拒否権に身動きがとれず、戦争を止めらずに苦悩しています。それでも対話の場を維持しようとしています。「核兵器廃絶のヨナタン」たちです。教会もそれに連なりたいです。吉髙叶