2026年7月12日礼拝「項垂れながら頷く」

サムエル記上3 章1-18 節

エリは言った。「それを話されたのは主だ。主が御目にかなうとおりに行われるように。」(サム3:18)

『サムエル記上』3 章は、少年サムエルが預言者としての一歩を踏み出していく場面を描いています。誰もが、少年サムエルの姿に目を向け、その動きを追いかけます。夜、何度も神に呼ばれ、繰り返し「声の主」を探し続けるあどけない姿。そしてとうとう神の声と向き合っていくサムエルの姿は、新しい預言者の誕生のシーンとして、とても印象深いものです。しかし本日は、もう一人の人物に目を留めていたいと思います。老祭司のエリです。この物語は、新しい時代の始まりを描きますが、一人の老人の時代が静かに終わっていく物語でもあるからです。
「彼(エリ)は目がかすんできて、見えなくなっていた」(3:2)。これは単に老齢になったエリの視力の衰えを語っているのではなく、彼の気力や霊的な力の減退を意味していると思います。聖所シロの祭司である彼の霊的能力の低下は、そのままその時代の宗教体制の弱体化を象徴しています。エリの息子たち(祭司職の跡継ぎたち)は「ならず者」で、神殿祭儀を私物化し、供え物の横領・神殿に仕える女性たちへの性的関係の強要を常態化させていたと書かれています。まさしく、聖所信仰の廃頽(はいたい)と危機そのものですが、エリは祭司としても、父親としても、それを止めることができない非力で情けない祭司です。しかし私は、エリを責める気持ちになれません。人間とは、かくも弱いものだからです。どれほど自分なりに誠実に歩んでいても、若い頃のようにはいかなくなります。
また、年月と共に社会は変わり、人々の宗教心や倫理性も崩れていきがちですが、それに立ち向かう気力も体力も削がれます。宗教者もまた、そうした弱さから自由ではありません。いまエリは、そんな自分の事実の前に項垂(うなだ)れるしかない存在です。
しかし、そんなエリに最後に託された仕事がありました。サムエルと神とを繋ぐ役目でした。神の声に向き合う「手引き」をサムエルに伝えたのはエリでした。その結果、サムエルが神から聞かされた言葉は、「エリの家を断絶する」という厳しい託宣でしたが、エリはサムエルに、それをそのまま自分に向けて語るように命じます。「預言者の仕事とは、それなのだ」と諭すように。そしてエリは、少年が語る自分への裁きの言葉の前に頷(うなず)きながら身を委ね、自らの働きを終えていくのです。「項垂(うなだ)れながら神の言葉に頷(うなず)いていく」老祭司の姿の中に、神の前に立つ人間の真実の姿を見る思いがします。吉髙叶

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